Men of Honor

ザ・ダイバー

ザ・ダイバー

ザ・ダイバー
レンタル開始日: 2001/11/01
製作年: 2000年
製作国: アメリカ
収録時間: 129分
シリーズ: ----
出演者: ロバート・デ・ニーロ 
キューバ・グッディング・Jr.
 シャーリーズ・セロン 
アーンジャニュー・エリス 
グリン・ターマン 
ジョシュア・レナード 
デヴィッド・キース
 デヴィッド・コンラッド
 ハル・ホルブルック
 パワーズ・ブース 
ホルト・マッキャラニー 
マイケル・ラパポート
監督: ジョージ・ティルマン・Jr
製作: ----
脚本: ----
詳細: ----
字幕: ----
音声: ----
品番: n_612fxbr19937
貧しい小作農民の子として生まれたアフリカ系アメリカ人のカール・ブラシア。夢を抱いて海軍に入隊した彼を待っていたのは、黒人はコックか雑用係という厳しい現実だった。が、彼の泳ぎの才能を見てとったプルマン大佐から甲板兵に取り立てられる。やがて、ある事件をきっかけに、彼はダイバーになることを決意するのだったが。


ザ・ダイバー
MEN OF HONOR

photo  1966年、米軍の核弾頭搭載機が海に墜落した。回収に当たっている深海ダイバーの中に一人の黒人の姿がある。彼の名はカール・ブラシア(キューバ・グッディングJr.)。その様子をテレビで食い入るように見つめているのは最上級兵曹長ビリー・サンデー(ロバート・デ・ニーロ)である。

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 1943年、ケンタッキー州ソノラ。ブラシア少年は池に飛び込むと、水中を魚のように泳ぎ回った。貧しい小作農民の子ブラシアは父の仕事を手伝おうとするが、父は息子に自分と同じ道を歩んでほしくはなかった。成長したブラシアは海軍に入隊し、「ここに戻ってくるな」という言葉と共に父から手製のラジオを手渡される。そこには“ASNF”というイニシャルが彫ってあった。

 海軍でブラシアを待っていたのは、黒人はコックか雑用係という現実だった。しかし艦艇ホイストに乗り組んだブラシアは、泳ぎの才能を見てとったプルマン大佐(パワーズ・ブース)から甲板兵に取り立てられる。折しも同じ頃、ヘリの墜落事故で仲間を救出しようとしたビリー・サンデーは空気塞栓症にかかってダイバー生命を断たれてしまう。しかし、この一件がブラシアのダイバーへの夢を駆り立てた。2年に渡って100通以上の嘆願書を書いた末、彼はニュージャージーにあるダイバー養成所への入学を許可される。

photo  ここには教官としてサンデーが赴任していた。検問所で会うなり「高望みするな」と言い捨てるサンデー。黒人に門戸を開いたばかりの養成所では、司令官ミスター・パピー(ハル・ホルブルック)を筆頭に露骨な人種差別が横行していた。訓練生は彼と同じ宿舎に寝ることを拒否し、ただ一人吃音症のスノーヒル(マイケル・ラパポート)だけがルームメイトになった。サンデーのブラシアへのイジメは徹底していた。訓練中に事故が起こったとき、ブラシアは訓練生アイザートを救い出すが、英雄としてサンデーから表彰されたのは途中で逃げ出したルークだった。サンデーはブラシアが大切にしていた父のラジオまで壊した。しかし、彼はくじけなかった。厳しい実地訓練に耐え、学科試験でのハードルも図書館での勉強でクリアしていった。それを支えたのは図書館で知り合った美しい女性ジョー(アーンジャニュー・エリス)の存在だった。しかし、間もなく郷里から父の死の報が届く。

 半年間の訓練も終わり、卒業試験の時がやってきた。司令官からブラシアを合格させぬよう命じられたサンデーは、海底で組み立てる工具の部品をわざとバラバラに散らして海に放り込む。冷たい水の中で作業が長引けば、体温を失って死んでしまう。既に9時間以上が経過した。もう限界だ。ブラシアがギブアップするまで放っておくよう命じる司令官。しかし、サンデーは引き揚げるよう指示し、訓練生がロープを引き始めた。その時、ブラシアから完成の合図が届く。彼はついにやったのだ。

 命令に逆らったサンデーは降格された。ある日、ブラシアは父のラジオが修理されてベッドの上に置いてあるのに気づく。“ASNF”という頭文字の横には、アルファベットが書き足されていた。そこに現れたのは“生涯忘れない息子(A SON NEVER FORGETS)”という言葉だった。

 ブラシアとジョーは結婚し、子供も生まれた。数年後、妻グウェンと共にあるパーティに出席していたサンデーは、大佐に昇格したハンクスと再会し、口論になった勢いで殴りつけてしまう。サンデーは再び降格させられた。

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 再び1966年――謹慎を命じられたサンデーが見ていたテレビに、スペイン沖の公海で核弾頭の回収作業に携わるブラシアの姿が映し出されていた。ブラシアは接近してきたソ連の潜水艦にロープを引っかけられて危うく命を落としそうになるが、そのおかげで核弾頭を見つける。しかし、艦に引き揚げる際に起きた事故で脚に大けがを負い、切断は免れたものの経過は思わしくなく、ダイバーとしての生命は断たれたも同然だった。

 その頃、アルコール依存症のリハビリ施設でブラシアの事故を知ったサンデーは、ある雑誌の切り抜きを送った。それは脚を切断しても飛行士として活躍した人物の記事だった。ブラシアはこれを読んで再び夢に賭けた。ジョーが止めるのも聞かず、脚を切断し、義足をつけてリハビリを開始した。

 そんなブラシアの元に、ある日サンデーが現れる……。

 1931年、ケンタッキー州ソノラの小作農の一家に生まれ、48年、17歳のときに海軍に入隊。この年は、トルーマン大統領が軍隊における人種差別 を撤廃した年でもあった。熱意に燃えた若い水兵は天職についてさっそうと働いている自分の姿を思い描いていたが、彼が直面 したのはマイノリティは調理室でコックになるという現実だった。

 しかし、いったん深海ダイバーの特殊な能力を見た彼は、夢の実現に全霊を傾け、たった一人の戦いを挑んだ。そしてアメリカ海軍史上、アフリカ系アメリカ人として初めてのダイバーになった。その後、ケガで身体の一部を失いながらも栄誉あるマスター・ダイバーの地位 を獲得。海軍の歴史に新たな1ページを加えた。

 1998年には海軍文書館に公式に記録を残される軍人7人のひとりに選ばれ、164ページにわたる人生とキャリアの口述筆記が納められた。その啓発に富んだ生涯の物語と不屈の精神は、海軍の伝説となっている。

ロバート・デニーロ
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ロバート・デニーロ
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 1943年、ニューヨーク市に生まれ、リー・ストラスバーグのもとで演技を学ぶ。73年、マーティン・スコセッシ監督の「ミーン・ストリート」での演技が認められ、ニューヨーク映画批評家協会賞を受賞。フランシス・フォード・コッポラの「ゴッドファーザーPARTII」(74)で若き日のビトー・コルレオーネを演じてアカデミー助演男優賞を、スコセッシの「レイジング・ブル」(80)では伝説的ボクサー、ジェイク・ラモッタに扮して同主演男優賞を受賞した。さらに、スコセッシの「タクシー・ドライバー」(76)と「ケープ・フィアー」(91)、マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」(78)、ペニー・マーシャル監督の「レナードの朝」(90)でもアカデミー賞にノミネートされている。盟友ともいうべきスコセッシとのコラボレーションは上記以外にも「ニューヨーク・ニューヨーク」(77)、「キング・オブ・コメディ」(83)、「グッド・フェローズ」(90)、「カジノ」(95)という秀作を生み出した。

 このほかの主な出演作はベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」(76)、「告白」(81)、「恋におちて」(84)、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(84)、「未来世紀ブラジル」(85)、「ミッション」(86)、「アンタッチャブル」(87)、「ミッドナイト・ラン」(88)、「俺たちは天使じゃない」(89)、「アイリスへの手紙」(90)、「バックドラフト」(91)、「ボーイズ・ライフ」(93)、「フランケンシュタイン」(94)、「ヒート」(95)、「スリーパーズ」(96)、「ザ・ファン」(96)、「マイ・ルーム」(96)、「大いなる遺産」(97)、「ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ」(97)、「ジャッキー・ブラウン」(97)、「アナライズ・ミー」(99)、「フローレス」(99)など。エドワード・ノートン、マーロン・ブランド共演の最新作“The Score”が控えている。

 1988年にジェーン・ローゼンタールとともにトライベッカ・プロダクションズを設立した彼は、俳優業のほか製作者・監督としても様々な企画を世に送り出している。監督デビュー作は「ブロンクス物語・愛につつまれた街」(93)。同社ではこれまで「ケープ・フィアー」「マイ・ルーム」「ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ」などを製作したほか、ヒット・ミュージカルを映画化した“Rent”が待機中。92年からはテレビ部門も活動を開始し、シリーズ“Tribeca”やマフィア、サミー・グラヴァーノの生涯に基づくミニ・シリーズなどの製作を手がけて高く評価されている。

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ロバート・デニーロは語る
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 デ・ニーロはブラシアとその仲間のダイバーたちについて、グッディングに劣らぬほど興奮していた。「“回収兵(Savage Mate)”という言葉はダイバーたちを正当に評価していない。これは本当に専門的な技術が必要な仕事だ。現代でも、エジプト航空やジョン・ケネディJr.の飛行機事故の現場で、ダイバーは自分たちの命を危険にさらしながら引き揚げ作業をしている」
キューバ・グッティングJr
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キューバ・グッティングJr
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 1968年、ニューヨーク市生まれ。ジョン・シングルトン監督による痛烈な人間ドラマ「ボーイズ’ン・ザ・フッド」(91)で主人公の高校生を演じて初の主役に。翌年にはアカデミー賞ノミネート作品「ア・フュー・グッドメン」(92)でジャック・ニコルソン、トム・クルーズらと共演を果たし、NATO/ショーウェストの新人賞を受賞した。96年には「ザ・エージェント」で怒りっぽいが憎めないプロ・フットボール選手ロッドを快活に演じてアカデミー助演男優賞を獲得。併せて映画俳優組合賞、シカゴ映画批評家協会賞、アメリカン・コメディ賞なども総なめにし、エンタテインメント業界の最前線に躍り出た。その直後にはジャック・ニコルソン、ヘレン・ハント主演で数々の賞に輝いたジェイムズ・ブルックス監督の「恋愛小説家」(97)に出演。再び批評家から高く評価された。

 このほかの出演作には「ジャッジメント・ナイト」(93)、ポール・ホーガンと共演したコメディ“Lightening Jack”(94)、ジェシカ・ラング共演の感動ドラマ「代理人」(95・V)、ダスティン・ホフマン主演、ウォルフガング・ペーターゼン監督の「アウトブレイク」(95)、ロビン・ウィリアムス主演の「奇蹟の輝き」(98)、トム・ベレンジャー共演のスリラー「コンフェッション」(99・兼製作)、ジョン・タートルトーブ監督、アンソニー・ホプキンス共演の「ハーモニーベイの夜明け」(99)、“Chill Factor”(99)がある。この後、ジェリー・ブラッカイマー製作、マイケル・ベイ監督の大作「パール・ハーバー」が公開される。

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キューバ・グッティングJrは語る
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「ブラシアの人生を語るには、芝居がかる必要なんてない。そのままで十分に魅力的で素晴らしい物語だからね。これまでのキャリアでアフリカ系アメリカ人のイメージにポジティブな光を当てた役を演じられて本当に恵まれていると思うけど、今までに出演したどの作品より、この映画を誇りに思っている。こんなに素晴らしい家族を持ったキャラクターを演じることができたのが嬉しかった。カールがジョーと結婚したとき、カールはダイバーになるため、ジョーは医者になるためにそれぞれ努力する一方で、自分たちの家族という枠組みを保つ点でも最善を尽くす。この映画の脚本にはアクション、ロマンス、エンタテインメント、啓示、歴史が盛り込まれていることでも魅了されるんだ」
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シャーリズ・セロン
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シャーリズ・セロン
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 1975年、南アフリカでフランス系の父とドイツ系の母の間に生まれた。ヨーロッパでモデルとして活躍していたが、女優を目指して93年にロスに移住。ジェイムズ・スペイダーらと共演したダーク・ユーモアいっぱいの犯罪もの「2days<トゥー・デイズ>」(96)で長編映画デビューを飾った。続いて、トム・ハンクスの監督デビュー作「すべてをあなたに」(96)、アル・パチーノ、キアヌ・リーブス共演のスリラー「ディアボロス・悪魔の扉」(97)に出演。ウディ・アレンの「セレブリティ」(98)での演技が激賞された。その後もビル・パクストンや巨大なゴリラと共演した「マイティ・ジョー」(98)、ジョン・アービングの小説をラッセ・ハルストレム監督が映画化してアカデミー脚本賞と助演男優賞を受賞した「サイダーハウス・ルール」(99)、ジョニー・デップの妻を演じた「ノイズ」(99)、ジョン・フランケンハイマーのメガホンでベン・アフレックと共演した「レインディア・ゲーム」(99)とハリウッド随一の売れっ子に成長。ロバート・レッドフォード監督の「バガー・ヴァンスの伝説」(00)ではウィル・スミス、マット・デイモンと共演して気の強い南部女性を好演した。この後、マーク・ウォールバーグ、ホアキン・フェニックスと共演した“The Yards”(00)、ウディ・アレンの新作、ビリー・ボブ・ソーントン、パトリック・スウェイジ共演の“Wakin' Up in Reno”(01)、キアヌ・リーブス共演の“Sweet November”(01)が待機中。

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シャーリズ・セロンは語る
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「あんなに打たれ強いしなやかなキャラクターを演じるのは面白かったわ。グウェンはストーリーを通じてだんだん内面的に強靱になっていくの。この映画のキャラクターの多くは、それぞれに折り合いをつけなければならない問題を抱えているわ。サンデーにとっては、自分がもはやダイバーに戻れないという現実。グウェンにとっては、これが彼女の人生なんだって悟ることなの。自分が愛してしまったのはこういう男なんだってことを」
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アーンジャニュー・エリス
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アーンジャニュー・エリス
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 ブラウン大学でアフリカ系アメリカ人の研究を行い美術学士号を取得。その後ニューヨーク大学大学院演劇課程で演劇を学んだ。ブロードウェイ・デビューはジョージ・C・ウルフ演出の『テンペスト』。続いて『冬物語』の女王ハーマイオニ役で再びシェイクスピア作品の舞台に立った。

 出演した主な映画は“Girls Town”(96)、“Desert Blue”(98)、“In Too Deep”(99)、シガーニー・ウィーバー共演の“A Map of the World”(99)、サミュエル・L・ジャクソンと共演した“Caveman's Valentine”(01)など。テレビでは『ザ・プラクティス』に準レギュラーで出演しているほか、『サード・ウォッチ』、“New York Undercover”にゲスト出演した。
ハルーボルブルック
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ハルーボルブルック
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 58年前にクリーブランドで上演された“The Man Who Came to Dinner”に出演して俳優としてのキャリアをスタート。その後、ウィリー・ローマンに扮した1997年の『セールスマンの死』の全米公演までの間に、『ガラスの動物園』『リア王』など多数の作品でニューヨークの舞台に立つとともに、リンカーン・センターの『タルチュフ』“After the Fall”“Incident at Vichy”、数々の地方公演に出演してきた。伝説的なワンマンショー“Mark Twain Tonight!”でトニー賞とエミー賞にノミネートされたほか、5度にわたってエミー賞を受賞している。

 出演した映画には「ダーティハリー2」(73)、「ミッドウェイ」(76)、「大統領の陰謀」(76)、「ウォール街」(87)、「ザ・ファーム/法律事務所」(93)などがある。
デビット・キース
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デビット・キース
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 テイラー・ハックフォード監督の「愛と青春の旅立ち」(82)で、リチャード・ギアの自殺した友人役が印象に残る。ほかに「ローズ」(79)、「パパ」(79)、「ブルベイカー」(80)、「影の私刑(リンチ)」(83)、「炎の少女チャーリー」(84)、「黄昏のチャイナタウン」(90)、「メジャーリーグ2」(94)、「リトル・ヒーロー」(95・V)、マシュー・マコノヒーと共演した「U-571」(00)などがある。

 テレビでも多彩な活動を続けており、「死の勲章〜亡き息子にささげる母の鎮魂歌」や、主人公を演じている「ハイ・インシデント/警察ファイルJ」などがある。
マイケル・ラパポート
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マイケル・ラパポート
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 映画デビュー作「ゼブラヘッド」(92・V)でいきなりインディペンデント・スピリット賞にノミネート。アンソニー・ドレイザン監督によるこの映画は、サンダンス映画祭でフィルムメイカーズ・トロフィーを受賞した。その後、「トゥルー・ロマンス」(93)、「ハイヤー・ラーニング」(95)、「誘惑のアフロディーテ」(95)、「ビューティフル・ガールズ」(96)、「ハッピィブルー」(96)、「ネゴシエーター」(97)、「コップランド」(97)、「ステューピッド・イン・ニューヨーク」(97)、シュワルツェネッガーの大作「シックス・デイ」(00)に出演。スパイク・リー監督の“Bamboozled”(00)、ジョン・トラボルタ、リサ・クードロー共演、ノーラ・エフロン監督のロマンティック・コメディ「ラッキー・ナンバー」(00)などが待機中。
パワーズ・ブース
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パワーズ・ブース
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 これまで出演した主な映画は、「若き勇者たち」(84)「エメラルド・フォレスト」(84)「ダブルボーダー」(87)「ラピッド・ファイアー」(92)、カート・ラッセル、チャールトン・ヘストンと共演した「トゥーム・ストーン」(93)、ジェシカ・ラング、トミー・リー・ジョーンズ共演の「ブルー・スカイ」(94)、「サドン・デス」(95)、オリバー・ストーン監督の2 作品、アンソニー・ホプキンス主演の「ニクソン」(95)とショーン・ペン主演の「Uターン」(97)など。テレビ作品も数多く、リリー・ソビエスキー、ジャクリーン・ビセット共演の「ヴァージン・ブレイド」(99・V)、レベッカ・デモーネイ、ジェームズ・アール・ジョーンズと共演した「ラスト・カウントダウン/大統領の選択」(90・V)、タイトルロールを演じたHBOのシリーズ『私立探偵フィリップ・マーロウ』などがある。テレビ・ムービー『ガイアナ人民寺院の惨劇』ではジム・ジョーンズ師に扮してエミー賞を受賞した。
ジョシュア・レナード
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ジョシュア・レナード
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 ザ・リビング・シアターとシアトル・フリンジ・フェスティバルなどの舞台に立つ傍ら、フリーランスの写 真家、ビデオ作家として活躍していたが、1998年に主演した「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」が大ヒット。マーティン・スコセッシが製作したマット・ディロン、スティーブン・ドーフ共演の“Deuces Wild”(01)、アリソン・アンダース監督の“Things Behind the Sun”(01)、“City of Bars”と出演作が続いている。
デビット・コンラッド
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デビット・コンラッド
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 ブラウン大学を卒業後、ジュリアード学院で学んだ。映画の最新作は“Return to Paradice”(98)と準主役で登場するインディペンデント作品“The Weekend”(99)。テレビでは96年のシリーズ“Relatively”、テレビのパイロット版『L.A.コンフィデンシャル』に出演。ブロードウェイの『The Deep Blue Sea』『The Clearing』のほか、トム・ストッパードが99年にアメリカで初演した“Indian Ink”の舞台にも参加している。
グリン・ターマン
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グリン・ターマン
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 舞台と映画で活躍するベテラン。主な舞台は、ロサンゼルス舞台批評家協会賞にノミネートされた“The Wine Sellers”、NAACP賞を受賞した“Eyes of the American”など。演出家、製作者としても知られ、インナー・シティ・カルチュラル・センターで上演した“Deadwood Dick”の演出で2度目のNAACP賞を受賞。1994年のNAACP賞ではライフタイム・アチーブメント・アワード・フォー・シアター(演劇功労賞)の栄誉を与えられた。

 映画では「グレムリン」(84)「ランナウェイ/18才の標的」(86)「ディープ・カバー」(92)「ステラが恋に落ちて」(99・V)などに出演している。
ホルト・マッカラニー
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ホルト・マッカラニー
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 ニューヨークに生まれ、ネブラスカ州で育った。アイルランドで学業を終了し、パリで演劇を学ぶ。20歳のときに『ビロクシー・ブルース』のブロードウェイ公演でニューヨークに凱旋。以来、デビッド・フィンチャー監督の「ファイト・クラブ」(99)、デビッド・O・ラッセル監督の「スリー・キングス」(99)、ローレンス・カスダン監督の“Mumford”(99)と注目作への出演が続く。また、「カジュアリティーズ」(89)、フィンチャーの「エイリアン3」(92)、ミミ・レダー監督の「ピースメーカー」(97)にも出演している。

 テレビでは“Kiss Tomorrow Goodbye”、ジェームズ・エルロイ原作の“Sheriff's Homicide”、ジョエル・シルバーが製作したアクション・シリーズ“Freedom”などがある。
ジョージ・ティルマン
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 ミルウォーキー州で10代のころから短編実験映画を製作し始め、非商業的なケーブルテレビのためのショー番組“Splice of Life”を地元のタレントを使って製作。その後、シカゴのコロンビア・カレッジで映画とビデオ製作について学んだ。在学中に30分の短編“Paula”を製作。伝統に挑戦する独自の視点をもって、食堂で働く17歳の黒人シングル・マザーが周囲に素晴らしい影響を与えていく様を追ったこの映画は、ミッドウエスタン・スチューデント・アカデミー賞を含め7つの学生映画祭で賞を受け、彼の映画作家としての地位を確立させた。

 この後、長編“Scenes for the Soul”(95)の脚本を執筆し、盟友ロバート・テイテルがシカゴの投資家からかき集めた15万ドルの資金で自ら監督。完成した映画を携えてロスへと車を飛ばした二人は、サヴォイ・ピクチャーズに100万ドルで売却することに成功した。

 これに気をよくしたティルマンは、「ソウル・フード」(97)の脚本執筆にとりかかった。現代のアフリカ系アメリカ人家族についての真心のこもった娯楽作が作りたいという彼の渇望によって生み出されたこの作品は、自身の子供時代の体験をベースにしている。ティルマンがサウンドトラックの話を持ちかけたベイビーフェイスことケネス・エドマンズが、この物語に惚れ込んでFOX2000ピクチャーズに企画を持ちこみ、完成した作品は批評家から高く評価された。

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ジョージ・ティルマンは語る
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 監督は脚本を読んでからブラシア本人に会って、彼の体験に強い共感を覚えた。「彼は固い絆で結ばれた愛情豊かな家庭に育ったが、目指すゴールはその生活の外にあった。あらゆる障害に打ち勝って突き進もうと決めた彼は、目標から目をそらすことなく粘り強くトンネルの先の光だけを見続けたために、彼のことを気遣ってくれる人々の存在さえ忘れるほどだった。私にわかったのは、そういう要素が映画人としての私の過去にも共通しているということだった。観客もまた、自分たちの一部をカールの中に見出すと思う。それは彼らの最良の部分であり、恐らく最近は使うことのなかった部分だろう」
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ジョージ・ティルマン
ロバート・テイテル
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 シカゴ出身で、コロンビア・カレッジでジョージ・ティルマンJr.と出会って以来コンビを組んでいる。在学中の短編“Paula”に続いて長編“Scenes for the Soul”(95)をプロデュース。「ソウル・フード」(97)はわずか750万ドルの製作費にもかかわらず4300万ドルの興行成績を記録して映画業界を驚かせた。サウンドトラック・アルバムは400万枚を出荷し、ビデオ発売時にはチャートのトップ10入りを果たしている。

 「ソウル・フード」(97)の公開を受けて、彼はティルマンとともにFOX2000ピクチャーズと2年間のファーストルック・プロダクション契約を結んだ。二人で設立した製作会社ステート・ストリート・ピクチャーズでは、小説“Friends&Lovers”を映画化する同名作品、サウス・セントラルの理容院を舞台にしたコメディ“Barber Shop”、既に製作が決定したスリラー“Thirty Under 30”など多くの企画が進行している。
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ロバート・テイテル
スコット・マーシャル・スミス
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 ニューヨーク大学卒業。在学中は雑誌ヴィレッジ・ヴォイスの映画評論家トム・アレンとアンドリュー・サリスの助手を務め、短編映画“That Sudden Rain”の脚本と監督でL.B.メイヤー賞を受賞している。卒業後、ニューヨーク最大手のCM/ミュージック・ビデオ製作会社で現場の知識を学び、その後ロスでパナビジョン/ハリウッドのマーケティング部長として勤務。6年間でトップクラスの撮影機材会社に成長させた。

 この間も精力的に脚本執筆活動を続け、本作で初めての契約を手にした。企画のスタートから4年の歳月を要したこの作品で、全編を通じてただ一人で脚本を担当するという珍しい経験を堪能した。最近ではカナダのモントリオールに数ヶ月滞在し、フランク・オズ監督、ロバート・デ・ニーロとエドワード・ノートンが共演する“The Score”(01)のリライトに当たった。そのほか、フランク・マーシャル監督の水中アクション・ドラマ“The Expendables”(01)、ローレンス・ベンダー製作の“Black and Blue”に着手している。
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スコット・マーシャル・スミス
ビル・コスビー
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 海軍を除隊後、ブラウン大学に入学。ナイトクラブでの出演をきっかけにスターダムに駆け上り、テレビ・シリーズ『アイ・スパイ』でロバート・カルプと共演。テレビ業界での人種の壁を打ち破ったこのシリーズでエミー賞を3回受賞し、アフリカ系アメリカ人俳優として確固たる地位を築いた。1984年から92年まで放映された『ザ・コスビー・ショー』は停滞していたシチュエーション・コメディのジャンルを再び活性化させ、NBCを業界の最前線へと押し出した。最近ではCBSのシリーズ“Cosby”と“Kids Say the Darndest Things”に登場している。

 映画の出演作は、ロバート・カルプ監督・共演の「殺人者にラブ・ソングを」(72)、シドニー・ポワチエ監督・共演の「シドニー・ポワチエ/一発大逆転」(75)、ラクェル・ウェルチ共演の「走れ走れ!救急車」(76)、ハーバート・ロス監督の「カリフォルニア・スイート」(78)、ロビン・ウィリアムス主演の「ジャック」(96)など。

 2000年秋からは子供向けのアニメ・シリーズ“Little Bill”の放映を開始して高く評価され、また、ベストセラーになった“Fatherhood”“Time Flies”“Congratulations! Now What?”など出版界でも成功を収めている。さらに、86年にはラジオシティ・ミュージック・ホールの動員記録を53年ぶりに破り、アルバム5枚がプラチナ・ディスクを記録し、グラミー賞を5度受賞している。98年にはアメリカ文化への貢献に対して、ケネディ・センター名誉章を贈られた。
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ビル・コスビー
スタンリー・ロバートソン
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 新聞のコラムニスト出身。ユニバーサル専属の脚本家兼製作者、NBCエンタテイメントの重役、コロムビア・ピクチャーズの上級副社長を歴任し、テレビ&映画業界でも卓越したキャリアを誇っている。コロムビア時代の86年にブラシアについての新聞記事を読んで映画化を進めようとしたが、最終的にスタジオが同意せず断念。90年代に入ってビル・コスビーの製作会社と仕事を共にしていたとき、スミスの脚本執筆のために資金を投じたものの、再び休止状態に。その後、同じウィリアム・モリス・エージェンシーに所属していたテイテルとティルマンのもとに企画が伝わり、彼らがFOX2000ピクチャーズに持ち込んで映画化が実現した。

 コスビーが主演した「ゴースト・パパ」(90)の製作総指揮のほか、テレビ・シリーズ“Harris&Co.”の製作総指揮と脚本を担当してNAACPイメージ賞を受賞。また全米新聞発行者協会の功労賞、全米女性報道者協会の名誉章、全米テレビ芸術アカデミー・ハリウッド支部の功労賞など数々の栄誉に輝いている。
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スタンリー・ロバートソン
レスリー・ディリー
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 これまで手がけた作品は、アカデミー賞にノミネートされた「アビス」(89)、「推定無罪」(90)、「おつむてんてんクリニック」(91)「ジャイアント・ベビー」(92)、「キャスパー」(95)、「キルトに綴る愛」(95)、「ピースメーカー」(97)、「ディープ・インパクト」(97)など。アート・ディレクターとして関わった作品には「スター・ウォーズ」(77)、「エイリアン」(79)、「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(80)、「レイダース/失われた聖櫃(アーク)」(81)がある。
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レスリー・ディリー
アンソニー・B・リッチモンド,ASC/BSC
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 イギリスの監督ニコラス・ローグの信頼厚く、「赤い影」(73・BAFTA賞受賞)、「地球に落ちて来た男」(76)、「ジェラシー」(79)、などでコンビを組んでいる。そのほかの作品には、ジャン=リュック・ゴダールがローリング・ストーンズとともに撮った「ワン・プラス・ワン」(68)、ジョン・スタージェスの「鷲は舞いおりた」(77)、J・リー・トンプソンの「愛はエーゲ海に燃ゆ」(78)、ショーン・ペンの監督作「インディアン・ランナー」(91)、「キャンディマン」(91)、アンジェリカ・ヒューストンの監督作「冷たい一瞬を抱いて」(96・V)などがある。
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アンソニー・B・リッチモンド,ASC/BSC
サルバドール・ペレス
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 「ソウル・フード」(97)に続きジョージ・ティルマンJr.監督と組む。

 多くのメジャー作品でアシスタント・デザイナー、衣裳製作主任を務めた後、「仮面の男」(98)で衣裳デザイナーに。最近では“Light It Up”(99)を手がけた。また、KISSの96年ワールド・ツアーに際して特注衣裳を手がけている。
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サルバドール・ペレス
ジョン・カーター,A.C.E.
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 ジョージ・ティルマンJr.監督とは「ソウル・フード」(97)に続いて2度目のコラボレーションとなる。

 「ロールスロイスに銀の銃」(70)でアソシエイト・エディターを務めた後、ミロシュ・フォアマン監督の「パパ/ずれてるゥ!」(71)で一本立ち。その後、エレイン・メイ監督の「ふたり自身」(72)、ジョン・G・アビルドセン監督の「ベスト・キッド」(84)と「ワイルド・チェンジ」(89・V)、ビル・デューク監督の「ディープ・カバー」(92)と「天使にラブ・ソングを2」(93)、マーティン・ローレンス監督・主演の「バッドフェロー」(96)などを手がけた。
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ジョン・カーター,A.C.E.
マーク・アイシャム
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 これまでスコアを提供した映画は50作品以上。「リバー・ランズ・スルー・イット」(92)でアカデミー賞とグラミー賞にノミネートされ、「ネル」(94)でゴールデン・グローブ賞候補に。「モダーンズ」(88)ではアメリカン・フィルム・インスティテュートから“80年代のロサンゼルスの作曲家”賞を贈られた。ほかに「運命の逆転」(90)、「リトルマン・テイト」(91)、「二十日鼠と人間」(92)、「ショート・カッツ」(93)、「蜘蛛女」(94)、ロジャー・ドナルドソン監督の「ゲッタウェイ」(94)、「タイムコップ」(94)、「クイズ・ショウ」(94)、「グース」(96)、モーガン・フリーマン主演の「コレクター」(97)、「ブレイド」(99)、「遠い空の向こうに」(99)、「英雄の条件」(00)など。90年には自身の名を冠したアルバムでグラミー賞を、97年にはテレビ・シリーズ“EZ Streets”のメイン・テーマでエミー賞を受賞した。
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マーク・アイシャム